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大阪地方裁判所 平成6年(ワ)4350号 判決

原告

新名悠一

右訴訟代理人弁護士

井上二郎

(他二名)

被告

ハード産業株式会社

右代表者代表取締役

生田文男

被告

生田文男

右両名訴訟代理人弁護士

林正明

主文

一  被告ハード産業株式会社は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告生田文男に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告に生じた費用の二分の一及び被告生田文男に生じた費用を原告の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告ハード産業株式会社に生じた費用を同被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告両名は、原告に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告ハード産業株式会社(以下「被告会社」という)との間で退職金二六一七万七七〇〇円とし、右金額から所得税市府民税を控除した二四一六万四八〇〇円を支払う旨約定したと主張して、その未払額一〇〇〇万円の支払を求め、取締役であった被告生田文男(以下「被告生田」という)に対し、商法二六六条の三に基づき一〇〇〇万円の損害賠償請求をするのに対し、被告らは、右約定中右一〇〇〇万円の支払を約した部分が虚偽表示であり、原告との間で、右金額を被告会社の内部留保とし、原告には支払わない旨合意した旨主張して、これを争う事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  被告会社は、昭和三五年に設立され、各種金物機械工具の製造販売等を目的とする会社であり、被告生田は、平成三年一月二一日当時、被告会社の取締役(平成六年五月代表取締役就任)であった(被告会社の目的は、(書証略)により、認定する)。

2  原告は、被告会社に、遅くとも昭和四一年五月には雇用され、平成二年一二月二〇日、退職した。

3  被告生田は、被告会社の代理人として、平成三年一月ころ、原告に対し、原告の退職金額を二六一七万七七〇〇円とし、右金額から、所得税と市府民税を控除した差引支給額二四一六万四八〇〇円を支払う旨合意(以下「本件合意」という)し、原告に対し、その旨を記載した退職金計算書(書証略、以下「本件計算書」という)を作成交付し、同年一月二一日一四一六万四八〇〇円を支払った。

二  原告の主張

1  本件合意の内容は、本件計算書にあるとおり、被告会社が原告に対し、退職金額二六一七万七七〇〇円から所得税と市府民税を控除した二四一六万四八〇〇円を支払うこととし、内金一四一六万四八〇〇円を直ちに振込の方法で支払い、残金一〇〇〇万円は、平成四年六月末に支払う約定であり、右一〇〇〇万円の退職金支払合意は虚偽表示ではない。

したがって、原告は、被告会社に対し、本件合意に基づき右残金一〇〇〇万円及びこれに対する履行期の後である平成六年五月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

2  本件合意当時の被告会社代表取締役である生田穂積は、被告会社の本件合意に基づく退職金残金一〇〇〇万円の支払債務を履行させず、被告生田は、取締役として代表取締役の業務執行を監視する義務があるのに、故意又は重大な過失により、これを懈怠して、この不履行を放置し、原告に同額の損害を与えている。

したがって、原告は、被告生田に対し、商法二六六条の三に基づき一〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達により請求した日の翌日である平成六年五月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

三  被告らの主張

1  本件合意中、残金一〇〇〇万円の支払を約した部分は、虚偽表示であり、無効である。

すなわち、被告会社は原告との間で、本件合意の際、(1)被告会社は、原告に対し、昭和四一年五月から平成二年一二月までの勤務年数二四年七か月について、被告会社の退職金規定第九条で計算した退職金五一七万五九〇〇円を支払う、(2) 被告会社は、その余の一〇〇〇万円については、原告に対し、退職金として支払う合意の締結を仮装するが、実際は、原告に支払わず、被告会社の簿外資金とするため、被告会社に帰属させる、(3) 被告会社は、原告に対し、(2)の点に対する口止料として、(1)の金額以外に八九八万八九〇〇円を支払う旨を合意した。

2  被告生田には、被告会社の取締役としての職務懈怠はなく、同被告が、商法二六六条の三の責任を負わないことは明らかである。

三  主たる争点

1  本件合意中一〇〇〇万円の支払を約した部分が虚偽表示か否か

2  被告生田の商法二六六条の三の責任の有無

四  証拠

記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第三争点に対する判断

一  虚偽表示について

1  被告生田は、被告会社の代理人として、平成三年一月ころ、原告に対し、原告の退職金額を二六一七万七七〇〇円とし、右金額から所得税と市府民税を控除した差引支給額二四一六万四八〇〇円を支払う旨の本件合意をして、その旨記載した本件計算書を作成交付し、同年一月二一日、一四一六万四八〇〇円を支払ったことは当事者間に争いはない。

2(一)  被告会社は、被告会社と原告間において、本件合意中、残金一〇〇〇万円の支払を約した部分が虚偽表示として無効である旨主張し、被告兼被告代表者生田本人尋問の結果、(書証略)(同被告作成の陳述書)中には、これに沿う部分がある。

また、(書証略)、原告、被告兼被告代表者生田各本人尋問の結果によれば、原告は、被告会社における処遇に不満があり、退職届け(書証略)を提出したものであり、その退職金額は、被告会社の退職金支給規定を適用して算定すれば、「自己の都合により退職する場合」として、五一七万五九〇〇円になること、被告会社は、平成二年度の確定申告において、原告の退職金を二六一七万七七〇〇円と申告したが、税務調査により、原告が自己都合の退職届けを提出したのに、右の額が会社都合による退職の規定を適用した上、退職金規定にない三を乗ずる計算方法を採ったことから過大であると否認されたこと、被告会社は、結局、総額で一五六八万三七六〇円を過大退職金損金不算入額として修正申告したこと、被告らは、一〇〇〇万円を富士銀行島之内支店に定期預金(以下「本件定期預金」という)したが、その預金証書と印鑑を原告に交付せず保管していること、原告が本件訴訟を提起したのは、本件計算書作成の約三年四か月後であることが認められる。

(二)  しかし、本件計算書には、本件退職金額を二六一七万七七〇〇円とし、支給額を右金額から所得税と市府民税を控除した二四一六万四八〇〇円とする旨の記載があるところ、被告会社と原告間には、右書面以外に、被告会社主張の合意の締結をうかがわせる文書が作成されたものとは認めるに足りないこと、被告会社は、平成二年度の決算報告書においても、原告に対する未払退職金として二六一七万七七〇〇円を計上したこと、右決算報告書には、未払退職金として、被告生田七二〇〇万〇二八七円、生田紀久子三九二〇万九四〇〇円、吉川博子二一五二万八〇〇〇円が計上されているところ、被告生田は、その本人尋問中において、右各退職金額は、被告会社の退職金支給規定の会社都合による退職に関する規定を適用して算定した額を三倍した額であり、被告会社が、吉川博子に対して、平成三年一月退職金として右二一五二万八〇〇〇円の全額を現実に支払ったこと、同人は、原告とほぼ同じ約二〇年間の勤続期間であって、所属する会社を変わったものの、現在も、被告生田の経営する別の会社で同被告の部下として勤務しており、実質的には退職していないと考えていることをいずれも自認する供述をすること、原告は、被告会社に二四年以上勤務し、平成二年一月六日に被告会社から永年勤続表彰を受けている上(書証略)、被告生田の紹介で同被告の長女の家庭教師であった女性と同被告の仲人で婚姻し、その後も家族ぐるみで長年交際するなど極めて親密な関係にあったこと(書証略)、原告が被告会社を退職する際、被告生田の勧めで、同被告の経営する別会社に勤務したという経緯であること(書証略、原告本人尋問の結果)、被告生田は、その本人尋問において、平成三年一月当時、被告会社の廃業を考えており、被告会社が平成二年度に不動産の売却により六億三一〇〇万円という予想外の利益を計上することになったため、法人税としてその相当部分を支払うよりは、長年勤務した従業員に退職金として支払ってやろうという気持ちもあった旨供述することなどの点を考え併せると、被告生田が、被告会社を代理して、吉川と同じく、原告に対しても、本件計算書記載の金額の支払に合意したとしても必ずしも不自然であるとは断定できないこと、被告らは、本件預金一〇〇〇万円を原告名義にしており、被告生田は、本件合意の際、右預金の存在について、原告に告知したこと(書証略、原告本人尋問の結果)、原告は、被告生田が、本件合意の際、平成四年六月に還付を受ける予定の税金の還付金により支払うと述べた旨主張し、その本人尋問中でも右主張に沿う供述をするところ、被告会社は、平成四年六月、南税務署長に対して、還付請求を行い、同年七月ころ一〇一一万九一九五円の還付を受けたことからすると(被告兼被告会社代表者生田本人尋問の結果)、原告の右供述は、基本的な事実関係と大筋で一致するということができること、以上の点を総合すると、被告生田は、平成三年一月当時被告会社の廃業を考えていたところ、被告会社が平成二年度に不動産の売却により予想外の利益を計上することになったため、法人税を支払うぐらいであれば、被告生田自身、及び同被告の妻である生田紀久子が、退職金を取得し(ただし、生田紀久子については同人に対する貸金と相殺処理をした)、また、長年勤務し、被告生田と個人的にも親密な関係にある原告や吉川らの従業員に対しても、多額の退職金を支払ってやろうと考え、原告との間で本件合意をして一四一六万四八〇〇円を支払ったが、残金一〇〇〇万円の支払前に、税務当局から、従業員中原告に対する退職金のみについてその額が過大であるという指摘を受け、右指摘を争うと、他の者に対する退職金の算定についても同様の問題が指摘されるおそれがあったこともあって、右指摘を争わずに、修正申告を余儀なくされたため、結局、原告に対する退職金残額一〇〇〇万円の支払を拒否するに至ったという可能性も否定できないものといわなければならない。

もっとも、被告生田は、その本人尋問において、被告会社が、吉川に支払った退職金から一〇〇〇万円を借り受けた旨供述するが、他方、右退職金が全額支払われた後、別の年度で右借入れがされ、被告会社が担保としてゴルフ会員権を提供した上、被告生田個人が保証した旨供述するのであるから、吉川の退職金中一〇〇〇万円の支払約束が虚偽表示であるとは到底認められないし、また、本件計算書の作成交付から本件訴訟の提起まで約三年四か月が経過した点も、原告が、その後、被告生田の経営する別会社に勤務し、平成四年四月、右会社を退職し、その約二年後には本件訴訟を提起したという経緯を考え併せると、これらの点をもって本件合意中右一〇〇〇万円の支払を約した部分が虚偽表示であるとは認めるに足りない。

以上の事実及び原告本人尋問の結果に照らせば、被告生田の(一)判示の供述は採用することができず、(一)判示の事実をもって、被告ら主張の虚偽表示の事実を認めるには足りず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。

3  したがって、原告は、被告会社に対し、本件合意に基づき右残金一〇〇〇万円及び右金員に対する本件訴状の送達によりその支払を請求した日の翌日である平成六年五月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求することができる。

二  被告生田の責任

1  被告会社が、本件合意に基づく一〇〇〇万円の支払債務を履行しないこと、被告生田が本件合意当時の取締役であったことは、前判示のとおりであるところ、原告は、被告会社の本件合意当時の代表取締役である生田穂積が、被告会社の本件合意に基づく退職金残金一〇〇〇万円の支払債務を履行せず、被告生田は、取締役として代表取締役の業務執行を監視する義務があるのに、故意又は重大な過失により、これを懈怠して、右一〇〇〇万円の不履行を放置し、原告に同額の損害を与えた旨主張する。

2  しかし、原告は、被告会社に対して右一〇〇〇万円の債権を有するところ、被告会社が無資力であり、原告の右債権が無価値であることについては、主張立証がないのであるから、原告主張の損害が生じたことを認めるに足りない。

そのうえ、仮に、被告会社が無資力であると仮定した場合、その取締役である被告生田の行為いかんにかかわらず、右債務の履行は困難であるというべきであるので、結局、原告の主張する被告生田の任務懈怠と右債務の不履行との間には相当因果関係が認められないことになる。

のみならず、商法二六六条の三の定める取締役の任務懈怠行為とは、取締役が会社に対する善管注意義務又は忠実義務に違反する行為をいうと解すべきところ(最高裁昭和四四年一一月二六日大法廷判決民集二三巻一一号二一五〇頁)、被告会社が本件債務を履行すべきことが、原告に対する義務であることはいうまでもないが、被告生田が被告会社をして右債務の履行をさせることを怠ることが、被告会社に当然に損害や不利益を与える行為に当たるということはできないのであるから、同被告がその取締役としての善管注意義務又は忠実義務の内容として右債務を履行させる義務を負うとは認められず、したがって、被告生田について、原告主張の取締役としての任務懈怠があるということもできない。

3  したがって、原告の被告生田に対する損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

三  以上によれば、原告の被告会社に対する請求は理由があるのでこれを認容し、原告の被告生田に対する請求は理由がないのでこれを棄却すべきである。

(裁判官 大竹たかし)

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